はじめに
こんにちは。
現代社会を生きている人なら一度は聞いたことがある「Android vs iPhone論争」。
こんなの「好きなの使えばいいだろ」で論争自体は終われるんですが、そこで両者必ずと言っていいほど発動してくるのが「世界シェア率」というトラップカードです。
「世界ではAndroidが多数派❗️」「日本に住んでるんだから日本のシェア率を見ろ❗️」と、両陣営が自分の主張を裏付けるためにデータを乱雑に振りかざすわけですが、ここにひとつ大きな誤解があります。
実は、世界シェア率をそのまま国別の議論に持ち込むのは、城之内もびっくりするほどロジックとしてかなり乱暴なんです。
安易に「世界のスマホシェア率」を持ち出すな
スマホのシェア率をめぐる議論で、よく持ち出されるのが「世界ではAndroidスマホが多数派」という主張が所々に散りばめられています。
確かに、直近(2025)のデータでは世界全体でAndroidスマホが約71〜72%・iPhoneが約27〜29%を占めています。これにはAndroid勢もにっこり。
しかし、これはあくまで世界平均であり、そのまま日本や他の地域に当てはめて優劣を語るのは正確ではないです。
市場の構造は国や地域ごとにまったく異なります。
所得水準、価格帯の分布、ブランド志向、求めるUX、文化の違いなど、こうした要素が入り組んでいるため、単純に“多数派=優れている”とはなりません。
Androidは価格帯の幅が広く、新興国やコスパ重視市場では圧倒的に強い。
悪く言えば格安ミドルレンジスマホでなんとか生きてる。
一方で、品質・連携性・ブランド価値を重視する市場ではiPhoneが高シェアを獲得する。
クソ高いからほぼ親の財布殺し。
この構図を理解せずに「世界では〜」を持ち出して優劣を語るのは、前提が崩れた議論になってしまうんです。
さいごに
本来、シェア率を比較して議論するなら
「どの国のデータなのか」「その市場の価格帯構造はどうか」「ユーザーは何を重視するのか」
この前提が揃って初めて意味がある。
結局、スマホ選びは世界の平均値で決まるものではない。
自分の用途・価値観・生活環境に合っているかどうか──こここそが本質です。
世界の多数派かどうかより、自分に最適かどうか。それだけの話なのです。
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